みなさん、こんにちは。
本日は、清水崇監督の「恐怖の村シリーズ」最新作、「樹海村」を観てきましたので、早速、その出来栄えについて、お伝えしたいと思います。
できるだけネタバレしないように注意してますが、なんとなく中味をほのめかす表現もあるかもしれませんので、まだ観てない方はご注意ください。
では、行ってみましょー。

感想(若干ネタ関連の表現あるかも)
遊び心満載のオープニング
岩礁に打ち上がる波しぶき・・・
おなじみの「東映マーク」が写ると、その波しぶきに交じって「血しぶき」がカメラレンズに降りかかる洒落たオープニングで本作はスタートします。
本編に入ると、前作「犬鳴村」でも見たことのあるモキュメンタリー風の動画撮影シーンがはじまり、その、まるで同じ形式の導入パターンに戸惑いを覚えることでしょう。
パンフによれば、そのユーチューバーを演じている女優さんも、その役名(アキナ)も同じと言うことなので、これは、製作側の意図的な演出であることが分かり、たぶん、この「恐怖の村シリーズ」の次回作も、同じパターン・同じ女優で行くことが推察できます。
続いて、樹海村に侵入したアキナさんが、何ものかに襲われたところで、カメラがドローンアップし、上空から望む壮大な樹海をバックに、タイトル「樹海村」の文字が浮かび上がる。
「いよいよはじまる」と、思わず期待を抱かずにはいられない、遊び心満点のオープニングです。
怪奇ファンタジーへの移行
まず、この映画についてお伝えしておきたいのは、「恐くない」ってことです。
ハッキリ言って、この映画は、ホラーではなく、「怪奇ファンタジー」の方が正しい位置づけだと思います。
60年代から70年代の「怪猫シリーズ」とか「血を吸うシリーズ」とか・・・そういった、ちょっと怖いけど、どこかワクワクするような、様式美重視の日本製怪奇映画。
そんなテイストを強く感じます。
「さあて清水監督、怖がらせていただきましょー」と、期待を持って足を運ぶと、間違いなく拍子抜けするでしょう。
この「怪奇ファンタジー」というテイストは、前作の「犬鳴村」からその傾向にありました。
ですから、私としては、観る前から覚悟はしていました。
そして、見終えてみて、確かに怖くなかった。
しかし、決してそれは、恐怖演出に失敗したからではないのです。
この映画は、製作陣が、最初から「怖がらせようというコンセプトでは作ってない」と感じるのです。
小中理論によるJホラーが世界を席巻してから、もう30年が経過しているわけです。
いつまでも、そういった「恐怖演出」の呪縛に縛られている必要はなく、そこは製作側もわきまえているはず。
心霊的な恐怖の追求はそろそろ脇に置いておいて、もっと別の要素に挑戦していきたいと思うのは、映画製作に携わる者として当然で、そういった製作陣の思いが、ヒシヒシとこのシリーズから伝わってくるのです。
それでも「犬鳴村」では、「片隅にボンヤリと写る心霊描写」や「失禁などによる不安定な空気感」といった、心霊的・心理的な恐怖演出についても、それなりに評価されていました。
しかし、犬鳴村の後半からは「SF怪奇モノ」にガラッとシフトチェンジしています。
ラストの変身シーンなどは、純粋に怪奇ファンタジーに振り切っているのです。
私としては、犬鳴村の方向性は絶対的に正解だったと思っていますし、今後も、このシリーズは、この方向性で進んでいくと予想しておりました。
そして期待どおり、この「樹海村」においても、そうなりました。
よりファンタジー性が強まっていて、前作以上にホラー的な恐怖演出が抑えられていたのです。
確かに、ところどころには、突然訪れる人体落下や指の切断シーンなど、ショッキングな演出も挟まれており、ホラー初心者やお子様には、それなりに注意が必要だと思います。
しかし、この作品は、やはりホラー映画ではなく怪奇ファンタジー映画なのです。
クライマックスで描かれたのは、「森の中で樹木に襲われる姉」と「遠距離から幽体離脱で姉を助けようとする妹」・・・もはやファンタジーそのものだったのです。
安心の役者陣。若手もうまい!
この映画における主な登場人物は、10代後半から20代前半の若者達が中心で、年配者が極端に少ない構成となっています。
若手の役者陣は、全てオーディションによって選ばれたと言うことですが、特に主要メンバーの演技はなかなかもので、全く違和感を感じずに見る事ができました。
併せて、ベテラン陣もすべて演技派で固めており、こちらも安心して見ていられる布陣です。
特に、原日出子さんの絶命シーンは見事で、瞬き一つしないで合掌したまま倒れ込む演技は、もはや死人にしか見えませんでした。
安達祐実さんは、出番は多くなかったですが、素晴らしい存在感を魅せてくれました。
我が子を思って絞り出すように泣き叫ぶ姿はリアルで、胸を締め付けられる演技だったと感じました。
勿体なかったのは、國村隼さんでしょうか。
折角、「森の番人」という、國村さんにピッタリのミステリアスな役柄だったのに、これと言って物語に深く絡んでくるわけでもなく、國村さんの存在感を生かし切れてなかったのが残念でした。
テーマの拡散が残念
個人的に、この映画で最も残念だったのは、テーマの方向性が分散してしまったことです。
前回の「犬鳴村」もそうでしたが、この「恐怖の村シリーズ」は、主にネット上で話題となった都市伝説をヒントに設定されています。
今回は、その都市伝説の中から、自殺をしそこなった人々が集まった集落「樹海村」と言うモチーフに、ネット怪談の「コトリバコ」の伝承を合体させて物語を作り上げています。
「樹海村」だけでは弱いと感じ、「コトリバコ」を付け足したのでしょうが、それが仇になった。
「森に宿る神秘性」と「呪いの箱」という二種類の違うアイテムを無理にくっ付けたことが、かえって物語を混乱させてしまったように思えてなりません。
姉妹や友人たちに降りかかる一連の悲劇が、森を破壊する人間達への戒めなのか、それとも社会から疎外された者たちの呪いなのか・・・その辺りが、今ひとつハッキリとせず、物語のテーマが希薄になってしまったのではないかと感じます。
主人公達は、「何が原因で窮地に追い込まれ、それを解決するために何をすべきだったのか」・・・そういった太い幹根が物語の中心にあれば、枝葉が見えやすくなったのではないでしょうか。
個人的には、「コトリバコ」を捨ててもよかったのではと感じています。
コトリバコは血縁とは関係なく、唐突に現れます。
それが幻なのか現実なのかが曖昧なままストーリーが展開し、観客を混乱させるのです。
無理に「コトリバコ」を出現させたことにより、主人公たちが被る悲劇の理由付けが拡散され、そこに清水監督が得意とする「時空の移動」が絡むことで、より分かり難くなったと思われます。
個人的には、「樹海村の呪いは、森そのものに浸透していた」という設定に焦点を絞り、怒り狂った樹木たちが因縁のある家系に襲い掛かると言った構図にした方が、ストーリーが明確になったのではないかと思えるのです。
画づくりが見事
テーマの部分で注文を付けてしまいましたが、全体の雰囲気づくりにおいて、この映画は申し分なく、総合的に見て非常に満足のいく映画でした。
特に画づくりにおいては見事です。
森の木漏れ日を美しく映し出すカメラワーク、旧家屋の佇まいを際立たせる照明技術、うごめく樹木たちを生き生きと表現したCG技術、その全てが高レベルです。
そして、それをまとめあげた清水崇監督も、改めて「テクニックのある監督である」と感心した次第です。
あの、ビデオ版「呪怨」の恐怖は、決して偶然が作り上げたものではなく、清水監督の演出力と計算力があってこその傑作なのです。
異常な状況下での殺戮を描いた「悪魔のいけにえ」も、公開当時は狂気の産物であるかのように言われました。
しかし、手掛けたトビー・フーパ―と言う監督が、実は、テックニックと画づくりを重視する、エンターテイメント志向の強い演出家であったことが、のちの作品から分かってきます。
それと同じように、清水監督も、呪怨シリーズ以外の作品を見れば分かりますが、決して力技のホラー演出だけが専売特許のキワモノ監督ではなく、テクニック重視の、緻密に画を構成していく職人監督なのです。
このシリーズが、清水監督と東映製作陣によって「怪奇ファンタジー路線」へと舵を切ったことは、個人的には大正解だと思っています。
はたして、次回は、どんな村のどんな怪奇譚を魅せてくれるのか。
期待は膨らむばかりです。
スタッフ
- 監督:清水 崇
- 脚本:保坂 大輔
- 音楽:大間々 昴
- 撮影:福本 淳
- 企画・プロデュース:紀伊 宗之
- プロデューサー:高橋 大典、中林 千賀子、三宅 はるえ
キャスト
- 山田 杏奈(天沢 響)
- 山口 まゆ(天沢 鳴)
- 倉 悠貴(鷲尾 真二郎)
- 安達 祐実(天沢 琴音)
- 原 日出子(天沢 唯子)
- 工藤 遥(片瀬 美優)
- 神尾 楓珠(阿久津 輝)
- 塚地 武雅(野尻 雄二)
- 國村 隼(出口 民綱)
- 太谷 凛香(アキナ)
- Youtube視聴者(成田 瑛基、重岡 漠、吉村 卓也、富山 えり子、並木 愛枝)
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