大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン【感想・解説】

映画

みなさんこんにちは、Ⅿ3号です。
今回ご紹介しますのは、
1966年4月に公開した、昭和ガメラシリーズの第2弾、「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」でございます。

「シリーズ最高傑作」との呼び声も高く、大映特撮の中でも、人間ドラマに重きを置いた、異色の怪獣映画となっております。
このブログでは、本作が描き出した、濃厚な本編演出と、高レベルの特撮演出について解説していくとともに、
数ある怪獣映画の中でも、屈指のヴィランと悪名高い、「小野寺」と言う男についても、掘り下げていきたいと思います。
また、本作のメガホンを取った「田中重雄監督」、
スコアを担当した「木下忠司さん」など、
日本映画界・テレビドラマ界を牽引していった、輝ける巨匠たちについても、ご紹介していきたいと思っておりますので、最後まで、どうぞお付き合いください。
なお、この投稿はネタバレを含んでおりますので、未見の方は、なにとぞご注意いただきますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、行ってみましょう。

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あらすじ

半年前、
ガメラを火星行のカプセルに封じ込めたロケットが、途中、隕石と衝突します。
カプセルは大破し、脱出したガメラは、エネルギー補給のため、地球に向かって進行。
「黒部ダム」を襲撃したガメラは、更なるエネルギーを求め、赤道直下の火山に向け、飛び去っていきます。
その頃、大阪のとある一室に、
「平田一郎」「小野寺」「川尻」と、一郎の弟「圭介」の四人が集まり、宝石密輸計画を立てておりました。
それは、一郎が、戦時中に、ニューギニアの洞窟に隠したと言う「オパール」を探し出し、持って帰ると言うものです。
さっそく、足の悪い一郎を残し、ニューギニアのジャングルへと向かった三人は、洞窟内でオパールを発見します。
しかし、小野寺の裏切りに合い、川尻はサソリの毒で絶命。
圭介も、小野寺が仕掛けたダイナマイトによって、洞窟内に閉じ込められてしまったのでした。
その後、部落の村人に助けられた圭介は、村の娘「カレン」から、
虹の谷の物体は、オパールではなく「神の呪い」であり、「持ち出せば、災いが起きる」と言う伝説を告げられ、
カレンとともに、神の呪いに対処すべく、日本へと帰還したのでした。
一方、オパールを持って日本へと向かった小野寺は、
途中「あわじ丸」の船内で、不注意にも、水虫治療用に浴びた赤外線をオパールに当てたまま、放置してしまうと言う、大失態を犯します。
赤外線を浴びたオパールは、赤く変異を起こし、
表面にひびが入ると、1匹のトカゲの様な生物が孵化したのでした。
オパールだと思っていた卵状の物体は、ニューギニアに伝わる伝説の怪獣「バルゴン」の卵だったのです。
あっと言う間に巨大化したバルゴンは、船を炎上させると、神戸港に上陸。
神戸の街を破壊したあと、続いて、大阪へと進路を変えていきます。
「あわじ丸」から脱出した小野寺は、一郎と再会しますが、裏切り行為を悟られると、一郎と妻を殺害して逃亡。
一方、大阪に出現したバルゴンは、舌先から冷凍液を発射し、街や城を凍結させると、背中から放射する虹色の光線「悪魔の虹」によって、ミサイルを撃墜していきます。
しかしそのとき、バルゴンの放った虹色の光に誘われて、ガメラが飛来。
大阪城に着地したガメラが、バルゴンに攻撃を仕掛けると、バルゴンもこれに応戦。
一旦は優勢に立ったかと思われたガメラでしたが、バルゴンの冷凍液で、凍結させられてしまったガメラは、そのまま、気を失ってしまったのです。
その頃、日本に到着した「圭介」と「カレン」は、対策本部を訪れ、バルゴンの弱点が「水」であることを説明。
カレンが持参した「巨大ダイヤモンド」でバルゴンをおびき寄せ、水中に誘い込む作戦を提案します。
すぐに、琵琶湖へと誘導する「ダイヤモンド作戦」が実行されますが、ダイヤの光に全く反応しないバルゴン。
「あわじ丸」の「佐藤船医」の証言により、
どうやらバルゴンは、卵の状態で赤外線を浴びており、赤外線を好む特異体質を持っていることが判明。
さっそく、赤外線を当てたダイヤモンドの光で、バルゴンを誘導する作戦が開始されると、これが大成功。
光に反応したバルゴンが、ダイヤにおびき寄せられるように、誘導する車を追いはじめたのです。
あと一歩で、バルゴンを琵琶湖に誘い込める。
っと思ったそのときでした。
正気を失った小野寺が、琵琶湖からボートで現れ、誘導車に襲い掛かると、ダイヤモンドを強奪。
しかし、その直後、逃走した小野寺にバルゴンの舌が巻き付き、小野寺は、ダイヤモンドとともに、バルゴンに飲み込まれてしまったのでした。
もはや打つ手のない自衛隊でしたが、
圭介の提案により、「悪魔の虹」を鏡で反射させて、バルゴンに放射するという、「バックミラー作戦」を決行。
この作戦により、一度はバルゴンに重症を負せることに成功しますが、動物の本能から、2度と虹を出さないバルゴン。
そのとき、凍結していた氷が解け、ガメラが復活すると、バルゴンの元に飛来。
こうして、琵琶湖湖畔を舞台に、ガメラとバルゴンの最終決戦が幕を開けたのでした。

感想・解説

大人向け本編演出

昭和ガメラシリーズの第2弾として、1966年4月に公開された本作は、大映特撮の中でも、非常に評判の高い作品で、多くのファンから、「シリーズ最高傑作」と呼ぶ声が聴かれるほどの、骨太の本格的特撮怪獣映画です。
しかも、同時上映が、「大魔神」と言う、東宝でも実現できなかった、豪華特撮二本立て興行を実現しています。
前作の「「大怪獣ガメラ」が、予想以上の大ヒットを記録した大映は、アクセル全開とばかりに、前作から、わずか半年しか経っていないにもかかわらず、昭和ガメラシリーズ中、最大の予算を注ぎ込み、圧倒的スケールの特撮と、分厚いストーリー展開で畳みかけた、高水準の「特撮怪獣巨編」として仕上げられた作品となっています。
まず、本作の特徴として言えるのは、昭和ガメラシリーズの中で、唯一、「子供が一切出てこない作品である」と言うことでしょう。
前作「大怪獣ガメラ」では、ガメラが、灯台から落下する「俊夫」を助けるシーンや、ことごとく「俊夫」が、ガメラ撃退の場面に絡んでくると言う設定が用意されており、「湯浅憲明監督」の、「怪獣映画は子供のものである」というスタンスが、シッカリと見てとれる作品となっておりました。
しかし本作からは、そんな、子供向け路線は完全に払いのけられており、特に序盤までは、主人公「圭介」ですら「悪党一味」に見えるような、ややこしい筋立てで進められていきます。
犯罪劇の色合いすら感じる、至って異色の大人向け怪獣映画の様相を呈している本作ですが、しかし、今改めて考えてみると、子供が一切出演をしていない怪獣映画など、特段、珍しいものではなく。
ガメラ登場以前の怪獣映画を見てみれば、ほとんど、子供が出ていない作品ばかりだと言うことが分かります。
怪獣映画の元祖、東宝においても、1954年の「ゴジラ」から、本作が公開された1966年までを辿ってみても、子供が活躍する作品など皆無で。
どの作品を見ても、全て、大人を中心とした映画ばかりだと言うことが確認できます。
唯一「モスラ」で、「中條博士」の弟「信二」が活躍してはいましたが、それほど主要な役回りではありませんでした。
つまり、すべての作品において、子供が主要部分を担う怪獣映画などは、これまでにも存在しなかったのです。
そんな、大人ばかりが活躍する怪獣映画の中にあって、はじめて子供を活躍させたのが、1966年に大映が放った「大怪獣ガメラ」なのです。
それは、本編のメガホンを取った「湯浅憲明監督」の思い入れによるところが大きかったと思われますが、確実に、「大怪獣ガメラ」が、その後の怪獣映画の転轍機を切り替えた作品だったのは確かでしょう。
しかしながら、大映は、このように、「子供が活躍する怪獣映画」を大ヒットさせたにも関わらず、それから半年しか経っていない時点で、再び、大人だけの怪獣映画にシフトを戻すことにしたのです。
それは、本編のメガホンを託した、「田中 重雄監督」の意向が強かったのだろうと推察できますが。
当初、永田プロデューサーの実子、「永田 秀雅専務」より、田中監督に対し、「子供を活躍させる」様、要望が出された様です。
しかし、「田中監督」は、これをキッパリと拒否し、子供を一切出さないストーリーを強行します。
それでも、東宝の怪獣映画の様に、大人しか出ていないとは言いながらも、カッコいい刑事や、颯爽とした新聞記者など、子供の憧れの対象となる様な、素敵なお兄さんやお姉さんが活躍するストーリーならまだしも、田中監督が描き出した大人達は、何やら暗い一室で、密かに金儲けの算段を企てているような、とても、「子供達の憧れ」と呼べる存在ではありませんでした。
ストーリー展開も、至ってディープでアダルト嗜好が強く、「大人の犯罪活劇」と言った世界観を全面に押し出した作品を、幼気(けなげ)な子供達の面前に叩きつけてきたのです。
当然、「田中監督は、一体なにを考えていたのか」と、驚かざるを得ないわけですが、もちろん、前半部分のややこしい展開に、着いていけない子供が多かったのは確かで、怪獣が登場するまでの時間、劇場を走り回っていた子供達がいたと言う話も、よく聞きますが、それにしても、田中監督は、なぜ、これほどまでに、子供が着いていけない様な作品世界を、敢えて選んだのでしょうか。
これは、個人的な意見とはなりますが、子供時代に映画館のスクリーンで映画を見るという行為が、その子の感性をつかさどる、極めて貴重な体験であると言うことを、田中監督が、非常によく分かっており、それゆえに打ち出した作品世界なのではないかと思えるのです。
つまり、この入り組んだストーリーに、飽きて席を立つ子がいるとすれば、逆に、この映画館と言う空間の中で、多少理解できない世界であっても、なんとか我慢して見続けよう、映画を理解しようとする子供達も少なからず存在するわけです。
そんな子供達に対し、田中監督は、単に、怪獣が暴れ、ビルや街が壊されていくだけの映画とは異なる、複雑な映画世界を見せつけていったのです。
「川尻」の、あまりも悲しい断末魔の叫び。
「小野寺」を通して伝わる人間の醜さ、弱さ。
そして、「カレン」から漂う「圭介」への思いとエロティシズム。
そんな、映画ならではの絶望感や高揚感を、怪獣映画と言う枠組みの中で、できるだけ体感させてやりたい。
子供の内に、映画的イマジネーションを、脳裏に深く刻み込ませてやりたい、
そんな、田中重雄監督の思いが込められた作品だったのではないかと、個人的には感じているのです。

「田中重雄」監督のプロフィール

それでは、ここから、そんな「田中 重雄監督」のプロフィールについて、ご紹介してまいりましょう。
田中監督は、1907年1月生まれと言うことですから、本作公開当時は、59歳。
酸いも甘いもかぎ分けられ、身体の動きにも問題がない、映画監督して最適の年齢だと言えるのではないでしょうか。
19歳で松竹蒲田撮影所に入所して以後、当時活動していた映画会社を渡り歩き、1931年に河合映画で「たぬきと精神病患者」で映画監督デビューを果たすと、河合映画で、年間13本という、当時の日本映画界の活気が伝わってくる様な、大忙しの1年を過ごしたあと、翌年には、大映の母体となる「新興キネマ」へ移籍。
「美しき鷹」「亜細亜の娘」などの大作を手掛け、1942年、新興キネマと日活が、戦時統合により、「大日本映画製作会社」、つまり今の大映となったのを機に、同社へ移籍。
移籍第1作の「香港攻略・英国崩るゝ(くずるる)の日」が、キネマ旬報ベスト・テン入りを果たします。
終戦後は、大映を中心に数多くの娯楽作品を手がけ、1962年に、70ミリ大作の「秦・始皇帝」、1963年「風速七十五米」と、立て続けに特撮巨編を演出。
1966年から、本作のヒロイン「江波杏子さん」を主演とする、ヒットシリーズ「女賭博師(おんなとばくし)」のメガホンを取ります。
1971年、大映倒産以降は、テレビ界に活躍の場を映し、50本ほどのドラマを演出。

間違いなく、日本の娯楽映画界・テレビドラマ界の歴史に名を残した、巨匠と呼ぶにふさわしい演出家であり、本作においても、その経験に裏打ちされた、安定感のある画づくりと、王道の作劇手法で、グイグイと観客を物語に引き込んでいってくれるのです。

胸高鳴る「木下忠司サウンド」

続いて、本作を、これほどまでの冒険活劇に仕上げてくれた、影の功労者である、音楽の「木下 忠司さん」についてご紹介してまいりましょう。
木下さんは、1916年4月生れと言うことですから、本作公開当時50歳。
「木下 恵介監督」を兄に持ち、その繋がりから多くの映画音楽を手掛けています。
兄、木下恵介監督のほぼ全ての作品の音楽パートを担当し、大ヒットした「喜びも悲しみも幾年月」の力強い主題歌は、誰もが知る名曲として、未だ歌いつがれています。
個人的に印象的だったのが、日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」の挿入歌「そばの花咲く」です。
佐野周二さんが朴訥と歌い上げる、素朴で、耳に残るメロディーは、いつまでも耳に残って離れません。
そのほか、小林正樹監督の「人間の條件」シリーズ、菅原文太主演の「トラック野郎」シリーズのスコアも、木下さんの作品です。
また、テレビドラマの音楽も数多く手がけておられ、「水戸黄門」の主題歌「ああ人生に涙あり」は超有名です。
渥美清さん主演の「泣いてたまるか」の主題歌も、つい口ずさんでしまうほどの名曲でしょう。
そして、個人的に、木下作品の中で最も好きな曲と言えば、1966年にTBSで放送された、木下恵介劇場の「記念樹」の主題歌です。
この曲は、作曲だけではなく、作詞も木下さんの手がけています。
高度経済成長の真っただ中。
人々が、手を取り合って懸命に生きていた時代。
養護施設を舞台にした、保母さんと園児たちの15年間の絆を、なんとも情緒あふれる詩とメロディーで表現したこの曲は、いつ聞いても涙がこぼれ、胸を締め付けられる、感動の名曲だと思います。
そして、本作のスコアも、シッカリと木下ワールドが炸裂しています。
木下作品の特徴である、詩的でセンチメンタルなカラーは抑え気味で、木下さんのもう一つの特徴とも言える、時代劇のスコアなどでお馴染みの、活劇を重視した、高揚感溢れるスコアが、場面場面に適切に配置され、物語を盛り上げる上での、大きな役割を担ってくれているのです。

特撮演出

特撮監督「湯浅憲明」の実力とパワー

本作の特撮演出については、前作「大怪獣ガメラ」で、本編のメガホンを取った、新鋭「湯浅 憲明監督」が担当しています。
もともと、本作の特撮は、前作に引き続いて「築地 米三郎さん」が担当する予定だったようですが、築地さんが、テレビドラマ「コメットさん」の特撮技師として引き抜かれたことにより、急遽、前作「大怪獣ガメラ」の本編を担当した「湯浅監督」に白羽の矢が立ったようです。
本編だろうが、特撮だろうが、軽々と熟していく「湯浅監督」の実力と、フットワークの軽さには、いつもながら脱帽です。
それにしても、前作で本編監督を務め、しかも大ヒットさせた湯浅監督としては、特撮部門のみを任された本作は、不本意だったのではないかと推察します。
それでも、やはり大映としては、いくら、前作を大ヒットさせたからと言って、まだまだ経験の浅い新人監督を、まして、前作よりも格段の予算がつぎ込まれた、鳴り物入り「ゴールデンウィーク興行作品」の監督として起用するなどと言った、大英断を振るうことができなかったのかもしれません。
結局大映は、本作の本編部門に、超ベテランで、実績豊富な「田中 重雄監督」にメガホンを託すこととなり、「湯浅監督」は、特撮部門だけを任されることとなるのですが、引き受けた湯浅監督は、本編に負けてたまるかとばかりに、若い特撮部のスタッフたちを率いて、その情熱とパワーを大爆発させ、結果、この起用が、大当たりをすることとなるのです。

怒涛のオープニング

とにかく本作は、映画の冒頭から、特撮シーン満載で、一気に怪獣映画の世界に引きずり込んで行ってくれます。
「若山 弦蔵さん」の渋いナレーションからはじまり、前作「大怪獣ガメラ」のストーリーがざっと説明されると、Z計画で、火星に向かったロケットが、ガメラを乗せたまま宇宙空間を浮遊する様子に切り替わり、そこに、真っ赤に燃え盛る隕石が出現。
次の瞬間、カプセルと隕石とが、真正面から衝突すると、カプセルが大破し、自由の身となったガメラが脱出。
青白い炎を回転させながら、地球へと向かっていくまでの様子を、小気味よく見せていきます。
この宇宙空間シーンでの、隕石の赤色と、回転ジェットの青色とのコントラストが非常に美しく、総天然色、大映スコープの大画面をフル活用した、胸躍るオープニング演出となっています。
続いて、ガメラが「黒四ダム」に飛来する場面に移行していくのですが、この、巨大黒四ダムのミニチュアセットが、これまた素晴らしい出来栄えです。
ガメラが画面右手から飛来すると、そのまま、ダムを横切って、画面左手の発電施設横に着地します。
右手には、発電所職員たちの逃げ惑う合成ショットが映し出され、画面中央に構える、迫力の黒部ダムのコンクリート壁が迫ってくる。
その華麗なパノラマショットを、一枚の画角に捉えていく圧巻のカットには、息を飲むほかありません。
続いて、着地したガメラが、首と手足を伸ばし、むっくりと立ち上がると、変電施設を破壊しながら、燃え盛る炎を吸い込む様子を、カットを切りかえながら、丁寧に紡いでいく、実に細やかな特撮演出をしばし茫然と眺めながら、続いて、ガメラが回転ジェットを開始すると、ガメラが上昇するシーンを、ダムの上空カメラから俯瞰で見せていくと言う、超絶カッコいい、鳥肌もののショットを披露。
そのあと、ガメラがダムに体当たりし、ダムが決壊する大スペクタクルシーンも圧巻の出来映えで、円谷特撮と比べても、決して引けを取らない、大迫力の濁流演出を見せてくれています。
それにしても、気が付けば、幕が上がってから、ここまでで、約5分ほどしか経過しておらず、「序盤からこれほど高クオリティの特撮で、最後まで持つのか」と心配になるほどの、 見ごたえある怒涛の特撮シーンが、映画の冒頭から展開されていくのです。

若さと情熱の特撮が目白押し

しかしながら本作は、ここから暫くの間、なんと、映画が35分を過ぎる辺りまでの約30分間に渡り、特撮シーンは、一切影を潜めることとなります。
ここから、暫くの間は、入り組んだ人間ドラマを中心として、ストーリーが展開していき、確かに、劇場に観に来ていた大半の子供達にとって、つらい時間だったと思われますが、先にも触れました様に、練り上げられた「高橋 二三さん」の脚本と、活劇の教科書とも言うべき「田中 重雄監督」のキッチリとした演出により、映画好きの子供達に、十分訴えかけるだけの力のある30分だったと感じています。
そして、映画が中盤に差し掛かり、ようやく、バルゴン登場となるわけですが、いよいよここから、湯浅監督を筆頭とする、若さほとばしる特撮演出の独壇場となっていきます。
まずは、船室で、赤外線を浴びながらバルゴンが卵から孵化するシーンのリアリティが半端なく、オパール状の卵が、赤外線の光で赤く染まり、やんわりと割れていく卵から、湯気とともに、粘液に包まれたバルゴンの幼体が顔を出すシーンは、エイリアンの幼体登場シーンや、ジュラシックパークのラプトル孵化シーンなどと比べても全くひけをとらないほど、非常によくできた、必見の特撮演出だと思います。
神戸港にバルゴンが登場してからは、スケール感溢れるミニチュアセットによる特撮シーンが目白押しで、最後まで、息つく暇のない、怪獣と人類との攻防戦が繰り広げられていきます。
本作の特撮シーンの特徴としては、とにかく夜のシーンが多いことでしょう。
東宝の、青空の下での怪獣対決とは赴きが異なり、暗い画面の中で、華麗にきらめく、炎や光線の煌びやかな輝きが、本作のアダルトな雰囲気と良く似合い、夜と言う設定が、ムーディーで、美しい特撮シーンを作り出す一役を、担っていると感じます。
ミニチュアセットで組まれた神戸市街地では、神戸タワーを横に、ところどころ青白い爆発が起きる中、火の海となった神戸の街を破壊するバルゴンの姿を、上部から俯瞰カメラで映していくという、映像センスが光るナイトシーンを見せてくれています。
とにかく、本作の特撮では、壮大なミニチュアセットの出来映えが見事で、セットを活かしながら、上から撮ったり、横から撮ったりと、大特撮パノラマを有効に活かした、動きのある演出を実現しているのです。
また、バルゴンが、大阪市内をのし歩くシーンでは、バルゴンの大きさとビルの高さとの対比が絶妙で、「サンダ対ガイラ」に匹敵するほどの、大規模な市街地のミニチュアセットが組み上げられており、「今そこに怪獣が存在している」と言う恐怖が迫ってくる、リアリティある特撮演出となっています。
有名な、「料亭いずもや」の、ミニチュアの窓の中を人々が逃げ惑うシーンは、16ミリフィルムを投影した、一発撮りだと言うことですが、その完璧な出来栄えには、ただただ驚くばかりです。
特撮スタッフの情熱によって実現した、奇跡の特撮演出だと言えるでしょう。
爆撃機が凍り付き、バラバラに分解していくシーンも、この後の「対ギャオス」での、超音波メスで切り裂かれる演出に引用されていく、アイデア溢れる特撮です。

生物感漂う怪獣造形

バルゴンの造型も、なかなか生物感のあるデザインで、個人的には、気に入っています。
ぬいぐるみ造形は、「大魔神」から、後の「ウルトラシリーズ」の怪獣達を数多く手掛けた、怪獣の父:「高山 良策さん」が担当。
とにかく、軽快さを重視する高山さんが作るぬいぐるみは、「動きやすさ」に重点が置かれ、非常に軽量なことが特徴です。
本作のバルゴンも、相当軽く作られていた様ですが、逆に、軽すぎることで強度が不足し、撮影のたびに傷がつき、修復が大変だったと言う苦労話が効かれるほど、とにかく、演者のことを考慮した、軽量のぬいぐるみ作りに定評のある造形師さんだった様です。
個人的には、バルゴンの、一見、可愛らしくも感じられる、円形の黒目から、逆に、死んだ魚の様な不気味さを感じます。
あの、何を考えているかわからない、魚類や爬虫類が持つ冷淡なイメージは、「シン・ゴジラ」の「蒲田君」にも、影響を与えているのではないかと推察します。
伸びる舌からは、冷凍液を噴射し、光るトゲからは、虹色殺人光線を放射する。
そのギミック満載の、生物としてあり得ない、荒唐無稽な必殺技を持ちながら、生物としてのリアリティもシッカリと感じさせてくれる。
正に、「これぞ大映怪獣」と呼ぶにふさわしい、アイデア溢れる怪獣造形だと言えるでしょう。
ガメラの造型は、前作に引き続き、エキスプロダクションが担当。
改めて、今回用に作り直したと言うことですが、前作に比べ、シャープなフォルムと、鋭い目つきが印象的で、「子供の見方ではない」、今回のガメラに相応しい、凛々しさをより感じさせる造形となっています。
大阪城での、ガメラとバルゴンの決戦も、生き物同志の息吹を感じさせる、生々しい一戦を見せてくれています。
生き物の息吹と言えば、東宝の「ゴジラの逆襲」で、ゴジラとアンギラスが、まるで狼と熊のような、獰猛な野獣の闘いを見せてくれていましたが、こちらは、それとは赴きが異なり、四つ足の怪獣同士が、お互いに、ジックリと間合いを取りながら牽制し、隙あらば攻撃を仕掛けるという、まるで、ライオンと虎の様な、ドッシリとした王者同志の闘いを見せてくれています。
また、これは本編演出かも分かりませんが、怪獣映画史上初の人間捕食シーンとして描かれた、「小野寺」がバルゴンに飲み込まれていく演出も強烈で、バルゴンの口を模った(かたどった)原寸模型に吸い込まれていく「小野寺」の描写は、正に、トラウマ級の恐ろしさだったと言えるでしょう。

「小野寺」の狂気の本質

本作は、「人間の汚い欲望を描いた映画である」と言われがちですが、よく見れば、本作で、あからさまに醜い人間の業を見せているのは「小野寺一人」であり、他の人間達を見ると、誰一人、汚れた人間など置かれていないことが分かります。
映画前半で、金儲けのため、オパール探索に奔走する男たちも、小野寺以外は、決して「悪党」ではありませんでした。
主役の「圭介」は、航空会社を立ち上げる資金調達のために、本計画に乗っただけであり、仲間の「川尻」も、マンションを買って、家族に楽をさせてやりたかっただけの純粋な男でした。
圭介の兄も、戦時中に発見したオパールを、命がけで洞窟に隠し、何とか日本に帰還しただけの男です。
彼らが唯一犯した罪と言えば、ニューギニアの部落で、虹の谷に行くのを止めようとした村人達を銃で脅し、警告を無視してジャングルに足を踏み入れたことだけで、ここまで、この密航計画を企画した男たちに犯罪行為があったとは考えられず、途中、底なし沼からの救出劇もあり、仲間たちが助け合いながら苦難を乗り越えていく、冒険活劇映画となっているのです。
しかし、この男たちの中で、唯一、「小野寺」だけが狂っていきます。
それは、洞窟に入った瞬間からなのではないかと感じられるのですが、つまり、小野寺が、「虹の谷」の魔性の力のターゲットとなったのではないかと、個人的には思っています。
映画を見ていると、男たちの中で、小野寺は、もっとも気が小さく、そのくせ暴力的で、打算的な男であることが分かります。
「虹の谷」の魔物は、そこに目を付けた。洞窟に入った瞬間から、小野寺は、虹の谷の魔物に見初められ、バルゴン誕生の手助けをするための役目を負わされることとなったのではないでしょうか。
救出した圭介に、カレンは、「あなた、友達に裏切られたでしょう」と言っています。
明らかに、虹の谷の魔力を理解していると思われるセリフであり、カレンは、それを「神の呪い」と言っています。
「虹の谷」の神を、バルゴンと言う生物に置き換えれば、この、自らの繁殖のため、他の種を使っていくと言う本能は、現実の自然界でも、よく見られる光景です。
昆虫の世界には、宿主に寄生し、その行動をコントロールする種類は結構います。
鳥の托卵行為も同様だと思います。
小野寺は、「虹の谷」の魔物に寄生され、バルゴン誕生を手助けするために、狂っていったのではないでしょうか。
つまり本作は、「人間の欲望」を描いた物語と言うよりも、「伝説の魔物」を呼び覚ましてしまったために引き起こされた、呪いの物語であり、
古くは、ユニバーサル映画の「ミイラ物」と同様の骨格が、本作からも見て取れ、古き良き、オカルトスリラー映画の趣(おもむき)を感じさせる怪獣映画と言えるのではないでしょうか。

最後に

ご紹介してきましたように、本作は、昭和ガメラシリーズの第2弾として、潤沢な予算がつぎ込まれた、ゴールデンウィーク興行を飾った、大映特撮怪獣映画の超大作です。
「大魔神」との、特撮二本立てと言う、これまで、東宝特撮でも実現できなかった離れ業をやってのけたのも、剛腕「永田 雅一(まさいち)プロデューサー」の、日本映画再興にかける、強い思いが成し得た功績だと思います。
もちろん、この超豪華二本立て興行は、大ヒットを記録することとなりますが、しかし、大映は、この二本立てに、あまりにも予算をかけ過ぎたことが仇となり、大ヒットと言っても、大きな果実を得ることなく、結果、興収的に成功とまでは行かなかった、と言われています。
それでも、本作の大ヒットによって、「ガメラ」と言うキャラクターが、「ゴジラ」と言う絶対王者と、肩を並べる真っ向勝負できる存在にまで達したことは事実です。
また、湯浅監督の手掛けた高レベルの特撮と、人間側に振り切った、田中演出、高橋脚本による骨太のストーリー展開により、これまでになかった、異色の怪獣映画の世界を作り出すことに成功したとも言えるでしょう。
濃密な人間ドラマが、当時の子供達を、作劇の底なし沼へと引きずり込み、圧倒的特撮ビジュアルが、大人達までをも、虹色の夢の彼方へと誘い込んだ。
正に、昭和、特撮映画史に残る、「大事件」。
それが、この「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」なのです。

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